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よしもと正人 - MASATO YOSHIMOTO
aokoubou
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2014.09.05
ブータン探訪−4
今朝はゆっくりとの食事を済まし、8:40ホテルを出発。ダルーンと言うこぢんまりした街道町にて30ドルを両替。
ここからは四輪駆動車に乗り換える。インド製のピックアップバンはオーナーが借金して買ったばかり。誇らしそうな若者の顔。日本で言うと大型トレーラーを一大決心して買った様なものか。農業の合間に稼ぐのであろう。馬に変わり、運搬需要も増えて来ているようだ
暫くは棚田の美しい風景の中の落ち着いた山道を登るが、気がつくと周囲は放牧地に変わってゆく。3000mを越えたあたりで大きな河原が現れ、それに添った悪路をさらに東に向かう。途中磨崖仏を見る。チェロンティスムの形式である。中心の釈迦にグル・リンポチェとシャブドウーンが添う。大陸の特徴であろう豊かな着彩をされ、活き活きとしている。建築物もそうであるが、この装飾的な美意識はやはり宗教原点か。ゾのベストを着て糸車を回し、昔ながらの旅人が歩いて来る。腰には鉈、耳には大粒のトルコ石。何ともかっこいいのである。糸車を回してみせてくれた。長い距離をひたすらあるく彼らの生活の知恵。
そこから暫くで車の終着点。山行スタッフ達が待ち構える。早速コックさんが昼食を提供してくれた。大きな荷物は馬にまかせ、ザックとカメラを担いでいよいよトレッキングである。上がる高度は300mほど。目指すは3500mのメラック。
時計を持参していなかったので、時間的な事は把握できないが、そんなに長い距離ではなかったのか、登りもさほど辛くは感じずあっという間に小さな村を一つ。そしてその先がメラ村である。ガレてはいるが、地元の人にとっては日常の道。案外整備されている。このトレッキングは外国人にはしばらく閉じられていた道。4年前に再開したと言われているが、厳格に閉じていた訳では無いようで、その間にもトレッカーは入っている様子。ただ、ブータン観光は費用がかかるので、若い人は少なく21歳の愚息が今までの最年少だろうと言われた。急な斜面以外は放牧された馬やゾモにより自然の芝地が形成されて、山に生える糸杉との対比が極めて美しい。すでに3500m。それほど息苦しくもなく高度を感じない。
Pemaの奥さんJimiのママと弟の迎えを受ける。
早速、アラ(小麦とトウモロコシのお酒)での歓迎。二杯飲み干さねばいけない。あっさりした焼酎のようだが、立て続けに二杯はちとキツいか・。
この辺りの人はチベットからの移民と言われていて、タシガンまで目にしていた民族衣装と全く異なるフェルト地の臙脂色の上っ張り。もしくはゾのベストである。このベストは皮面と毛の面がリバーシブルで温度に寄って裏表を着替えるユーティリティーの有るものだ。雨期のこの時期は足下がブルーの長靴。顔つきはチベット系、ウイグル系、日本人似の人も多い。僕は日本人と言うよりヒマラヤ高地人らしい。
シャイであるが人々が素朴に挨拶を向けてくれる。途中目にした新築の建築現場は日本と同じ様な地鎮祭が行われ、柱は手斧で削っている。
このような山奥の村にも電気は通い、電気道具も少しは導入されているが、メンテナンス上は昔ながらの道具が一番使い勝手が良いようだ。宿泊は民家の2階の仏間を利用したゲストハウス。思いのほか快適である。外ではあるがトイレも完備されている。ブータンでは野のトイレが当たり前と聞いて来たけれど、今までトイレに不自由した事は無い。水の豊富なこの国では少々水が溢れ気味であるが、そのぶん清潔でもある。馬、ヤギ、羊、犬、ゾモが混在して生活している姿は何処も共通している。山間の狭い敷地に密集して住む姿がノスタルジックである。竹の柵に囲まれた小さな畑を持っている家もあるようだが、このぐらいの高度になるとさすがに耕地はない。現金収入はチーズからなのだろう。
明日はJimiの家族が営む放牧の取材。楽しみである。
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ここからは四輪駆動車に乗り換える。インド製のピックアップバンはオーナーが借金して買ったばかり。誇らしそうな若者の顔。日本で言うと大型トレーラーを一大決心して買った様なものか。農業の合間に稼ぐのであろう。馬に変わり、運搬需要も増えて来ているようだ
暫くは棚田の美しい風景の中の落ち着いた山道を登るが、気がつくと周囲は放牧地に変わってゆく。3000mを越えたあたりで大きな河原が現れ、それに添った悪路をさらに東に向かう。途中磨崖仏を見る。チェロンティスムの形式である。中心の釈迦にグル・リンポチェとシャブドウーンが添う。大陸の特徴であろう豊かな着彩をされ、活き活きとしている。建築物もそうであるが、この装飾的な美意識はやはり宗教原点か。ゾのベストを着て糸車を回し、昔ながらの旅人が歩いて来る。腰には鉈、耳には大粒のトルコ石。何ともかっこいいのである。糸車を回してみせてくれた。長い距離をひたすらあるく彼らの生活の知恵。
そこから暫くで車の終着点。山行スタッフ達が待ち構える。早速コックさんが昼食を提供してくれた。大きな荷物は馬にまかせ、ザックとカメラを担いでいよいよトレッキングである。上がる高度は300mほど。目指すは3500mのメラック。
時計を持参していなかったので、時間的な事は把握できないが、そんなに長い距離ではなかったのか、登りもさほど辛くは感じずあっという間に小さな村を一つ。そしてその先がメラ村である。ガレてはいるが、地元の人にとっては日常の道。案外整備されている。このトレッキングは外国人にはしばらく閉じられていた道。4年前に再開したと言われているが、厳格に閉じていた訳では無いようで、その間にもトレッカーは入っている様子。ただ、ブータン観光は費用がかかるので、若い人は少なく21歳の愚息が今までの最年少だろうと言われた。急な斜面以外は放牧された馬やゾモにより自然の芝地が形成されて、山に生える糸杉との対比が極めて美しい。すでに3500m。それほど息苦しくもなく高度を感じない。
Pemaの奥さんJimiのママと弟の迎えを受ける。
早速、アラ(小麦とトウモロコシのお酒)での歓迎。二杯飲み干さねばいけない。あっさりした焼酎のようだが、立て続けに二杯はちとキツいか・。
この辺りの人はチベットからの移民と言われていて、タシガンまで目にしていた民族衣装と全く異なるフェルト地の臙脂色の上っ張り。もしくはゾのベストである。このベストは皮面と毛の面がリバーシブルで温度に寄って裏表を着替えるユーティリティーの有るものだ。雨期のこの時期は足下がブルーの長靴。顔つきはチベット系、ウイグル系、日本人似の人も多い。僕は日本人と言うよりヒマラヤ高地人らしい。
シャイであるが人々が素朴に挨拶を向けてくれる。途中目にした新築の建築現場は日本と同じ様な地鎮祭が行われ、柱は手斧で削っている。
このような山奥の村にも電気は通い、電気道具も少しは導入されているが、メンテナンス上は昔ながらの道具が一番使い勝手が良いようだ。宿泊は民家の2階の仏間を利用したゲストハウス。思いのほか快適である。外ではあるがトイレも完備されている。ブータンでは野のトイレが当たり前と聞いて来たけれど、今までトイレに不自由した事は無い。水の豊富なこの国では少々水が溢れ気味であるが、そのぶん清潔でもある。馬、ヤギ、羊、犬、ゾモが混在して生活している姿は何処も共通している。山間の狭い敷地に密集して住む姿がノスタルジックである。竹の柵に囲まれた小さな畑を持っている家もあるようだが、このぐらいの高度になるとさすがに耕地はない。現金収入はチーズからなのだろう。
明日はJimiの家族が営む放牧の取材。楽しみである。