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よしもと正人 - MASATO YOSHIMOTO
aokoubou
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2014.09.02
ブータン探訪−2
4時に起床。早々にベランダに出、朝が広がってゆく時間を楽しんだ。7時半からの朝食を済ませ、本日の目的地ブムタンへ出発。
道中の風景はまさに「天空の国」。急斜面に広がる田んぼと畑。点在する家々。どのようなところにも電線が届いているのは、5年前から続く国の政策の恩恵。山が急峻で水量豊富なブータンでは、電気は重要な輸出品。それもダムを建設するのではなく、自然の流れを利用した小規模発電所。極めて小さな発電システムでも村中に提供する電気は賄える。JICAの指導するリスクの少ないシステムはみならうべき点が多い。携帯電話も普及しており、所々山上に電波塔が聳えている。携帯電話で救われた命も多いと聞く。
ペレラ峠、3380m。日本では森林限界をとっくに超えているが、ここでは豊かな緑が広がっている。糸杉や松の類。峠はすべて聖地になっており、チョルテンが建ち、ルンタ(風の馬)がはためく
チベット仏教を国教とするブータンの信仰は厚い。釈迦を中心にグル・リンポチェとシャブドウーンが脇に座るチェロンティスムの形式が用いられる事が多いが、金剛薩埵や観音の姿も見かける。持参した自作の地蔵菩薩も評判が良かった。仏塔に線香を供えて、吉田氏の父上と義兄の菩提を弔う。ブータンでは輪廻転生が深く信じられており、墓を建てる習慣が無い。その代わりダルシン(柱に取り付けられた白い経布)が掲げられ、そこここの山腹にはためいている。露店でじいさんが彫ったと言う猿の木彫と釈迦の鋳物がついた線香入れを買う。
東西を結ぶ国道は1本のみ。険しい山々を巡るそのすべてが舗装されている訳ではないし、道幅も充分には無い。山側からの落石や木の崩落もおおく、加えて牛の往来はドライバーにとってはかなりのストレスだろうと思う。本日の197キロと言う行程は時間にすると10時間強。過酷である。ガイドが気を使ってドライバーと唄など歌い、気を盛り上げている。途中、グレーラングルという猿の群れに出会う。ゾンカ語でチャカテールというその名前は、巡り会うとその後の事が旨く運ぶ白い猿の意。幸先が良い。
2300mのトランサにて昼食。何処に行っても代わり映えの無い食事であるが、そこに無駄な欲を見せないところがまた仏教国たる所以か?お土産物のタンカに目を奪われる。値段は20万円。簡単に買える金額ではないが、魅力的だ。
トンサ県の中心「トンサ・ゾン」に立ち寄る。ゾンとは行政機関と宗教施設が一緒に運営されている元要塞。町のシンボルとして威容を見せる。ブータンの国旗はドラゴンの姿を挟んで上が黄、下がオレンジに色分けされているが、それぞれ政治と宗教を示している。行政側の壁に政治姿勢を戒める様に六道界の様子が表現され、施策に楔を打っている。政教渾然なのである。平均年齢65歳のブータン人は身近な家畜達にも近親の空気を感じており、何ものも殺さない。生まれ変わりを深く信じているからである。人々の生活には牛や馬、鶏などの家畜に加え野良犬までもが寄り添いともに暮らす。ハエさえ自由に振る舞っている様に思える。ゾンの中にも美しい犬が2匹、静かに伏せていた。
当然道は糞だらけでは有るが。
青空市場には、この時期ゼンマイ・ジャガイモ・リンゴ・茄子・瓜・あんず茸が並ぶ。高度に寄って並ぶものは変化するが、多くは日本人の農業技術指導者西岡京治氏が28年間に渡り貢献した成果。氏はその功績により民間人最高の爵位「ダショー」を得たが、虫歯の悪化に寄る敗血症にて59年の生涯をブータンにて閉じた。その記念碑はパロの農業試験場脇に奉られている。彼のおかげでブータンに置ける日本人の信用度は高く、税関などもフリーパスなのである。
長いドライブの末、立派な石造ロッジ風のホテルに到着。部屋はスイート。Wifiは不通。夜の野良犬は恐いと言う事で早めの就寝。
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ペレラ峠、3380m。日本では森林限界をとっくに超えているが、ここでは豊かな緑が広がっている。糸杉や松の類。峠はすべて聖地になっており、チョルテンが建ち、ルンタ(風の馬)がはためく
チベット仏教を国教とするブータンの信仰は厚い。釈迦を中心にグル・リンポチェとシャブドウーンが脇に座るチェロンティスムの形式が用いられる事が多いが、金剛薩埵や観音の姿も見かける。持参した自作の地蔵菩薩も評判が良かった。仏塔に線香を供えて、吉田氏の父上と義兄の菩提を弔う。ブータンでは輪廻転生が深く信じられており、墓を建てる習慣が無い。その代わりダルシン(柱に取り付けられた白い経布)が掲げられ、そこここの山腹にはためいている。露店でじいさんが彫ったと言う猿の木彫と釈迦の鋳物がついた線香入れを買う。
東西を結ぶ国道は1本のみ。険しい山々を巡るそのすべてが舗装されている訳ではないし、道幅も充分には無い。山側からの落石や木の崩落もおおく、加えて牛の往来はドライバーにとってはかなりのストレスだろうと思う。本日の197キロと言う行程は時間にすると10時間強。過酷である。ガイドが気を使ってドライバーと唄など歌い、気を盛り上げている。途中、グレーラングルという猿の群れに出会う。ゾンカ語でチャカテールというその名前は、巡り会うとその後の事が旨く運ぶ白い猿の意。幸先が良い。
2300mのトランサにて昼食。何処に行っても代わり映えの無い食事であるが、そこに無駄な欲を見せないところがまた仏教国たる所以か?お土産物のタンカに目を奪われる。値段は20万円。簡単に買える金額ではないが、魅力的だ。
トンサ県の中心「トンサ・ゾン」に立ち寄る。ゾンとは行政機関と宗教施設が一緒に運営されている元要塞。町のシンボルとして威容を見せる。ブータンの国旗はドラゴンの姿を挟んで上が黄、下がオレンジに色分けされているが、それぞれ政治と宗教を示している。行政側の壁に政治姿勢を戒める様に六道界の様子が表現され、施策に楔を打っている。政教渾然なのである。平均年齢65歳のブータン人は身近な家畜達にも近親の空気を感じており、何ものも殺さない。生まれ変わりを深く信じているからである。人々の生活には牛や馬、鶏などの家畜に加え野良犬までもが寄り添いともに暮らす。ハエさえ自由に振る舞っている様に思える。ゾンの中にも美しい犬が2匹、静かに伏せていた。
当然道は糞だらけでは有るが。
青空市場には、この時期ゼンマイ・ジャガイモ・リンゴ・茄子・瓜・あんず茸が並ぶ。高度に寄って並ぶものは変化するが、多くは日本人の農業技術指導者西岡京治氏が28年間に渡り貢献した成果。氏はその功績により民間人最高の爵位「ダショー」を得たが、虫歯の悪化に寄る敗血症にて59年の生涯をブータンにて閉じた。その記念碑はパロの農業試験場脇に奉られている。彼のおかげでブータンに置ける日本人の信用度は高く、税関などもフリーパスなのである。
長いドライブの末、立派な石造ロッジ風のホテルに到着。部屋はスイート。Wifiは不通。夜の野良犬は恐いと言う事で早めの就寝。