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2013.08.19
山陽新聞夕刊「一日一題」 8月3週
美と祈り 

 私は仏像を彫る日常なので、仏教本を眺める事が多い。けして信心深いのではなく、単なる仏教ファンなのだが。図版や経本の解説や伝記物、中でもお気に入りは、増谷文雄著「この人を見よ」。著者の仏教に向ける愛情がひしひしと伝わり、描かれた釈迦の姿に心わくわくする名著である。
 大学の時に古美術研修旅行という名目で、奈良に2週間泊まり込み、古都の文化財を巡った。それ以来事あるごとに仏像を鑑賞して歩いてきた。日本全国とは言わずとも、有名なものはかなり見ていると思う。しかしここ10年ほどは野仏に心を奪われる。打ち捨てられたように佇むものもあるが、祠に納められ涎掛けを新調して貰い、今でも大切にされている石仏は多い。今となっては元々与えられた役割は曖昧になり、ついでに顔の表情まで風化で失われてなお地元にしっかり根付いている。うる覚えだが詩人の安東次男が「抽象とは自然の持つ巧まざる力」と書いていたのは、まさしくこれか・・。「美」とは形にだけに潜むものではないのだ。その美しさは青々と茂る稲穂にも似て生命感さえ窺える。おばあちゃんが地蔵様に手を合わせている姿を目にすると、現代美術がこの域に至るのはいつの事やらと思う。
 ある年の8月にアウシュビッツを訪れた。ビルケナウに残された事物が語りかける現実の悲惨は現代でも失われておらず、苦しみの余韻は双方に続いている。その時に感じた心にのしかかる重さは、自分も内包する人間の弱さと命の儚さが様々な形でそこに現れていたからだと思う。目を覆いたくなる惨状の記録。その場で人間が示せる唯一の行動は祈る事だけだ。参拝者の真摯に祈る姿にのみ美しい救いがあった。
山陽新聞夕刊「一日一題」 8月3週