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2013.09.30
山陽新聞夕刊「一日一題」9月最終週
数寄ということ
 
 「よしあしハ 目口鼻から出るものか」と仙厓は骸骨から草の生える絵を添えて軸に表している。これはなかなか辛辣である。
 茶道に塡まって五年、茶道具が気になって仕方ない。馴染みの道具屋に涼みに寄っては、好みの道具に引きつけられる。入門から1年少々で半白茶会を開いて以来、個展代わりに年数回設けるお茶席に、今では馴染みのお客さんも出来た。時候の室礼とアイデアで皆さんに喜んで頂くのが楽しくて仕方ない。古く佳い道具は高嶺の花だが、好みの下手物は幸いギリギリ手が届く(もちろん内儀には内緒)。しかし風炉を買えば釜が要る。備前の水差しを手に入れると赤絵の茶碗を合わせたくなる。切りがないのである。加えて季節のお軸まで・・。こりゃイカン!身の程知らずにも程がある。「やっぱりいいものは違うよな〜」とか言いながらあれこれ道具に執着する。欲深いのだ。本当は善し悪しや好き嫌いはただの戯論である。本来はお茶が飲めれば事足りる。だけどどうせなら魅力ある茶碗で一服頂きたい・・・と、ついつい思う。
 仏像然り。仏様に失礼であるが完成度が高いものを美しいと好んでしまう。ホントは違います。求められて現れたお姿に上下がある訳ありません。そこに存在するというだけでありがたいのです。余計な知識が見る目を曇らせること度々。もともと美術的価値など全く余剰なのだ。
 デッサンは見えている形を写すのではなく、そこに含まれている構造や思想を汲み取るのが本分だと思うが、美人の前では横に縞がよぎる。どこまでも我欲が邪魔する人生、半分過ぎても達観へのハードルは相当高い。
 10月6日「片上古道アート散歩」において茶席を設けます。皆様どうぞご参加下さい。
山陽新聞夕刊「一日一題」9月最終週