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2013.09.02
山陽新聞夕刊「一日一題」9月1週
小説「シッダルタ」

 ヘルマン・ヘッセの「シッダルタ」に巡り会ったのは17歳の時だった。ライブハウスに通い詰めていた私はロック説法という布教を行っていた若い僧侶に出会った。迷いの正体が分からぬまま苦悶していた思春期。人生の書としてこの本を指し示したカタ氏(本当は漢字名だが忘れてしまった)は、理屈ばかりで実のない未熟者に、人生の何を教えようとしたのか・・。
 ろくに努力もしない出来の悪い高校生であった私は、比較的得意な美術の分野に進路を定め、それでもどうせ勉強するなら一番いい学校をと高望みし、浪人の末上野に通うようになった。美術も術である限り、基礎をしっかり学べばある程度の事は出来る。しかし問題はその先。オリジナルな視点を持ち表現を起こすには自身の内部への深い模索が必要だ。思考力と感受性の不足は致命的だと思い知る。極端に言えば絵など描けなくてもいい。独自の源泉を見つめられる才能が求められるのだ。その頃再び「シッダルタ」を読んだ。
 シッダルタは仏陀と同じ時代に生きた求道者。高貴な家に生まれながらもそこに安住できず苦行と彷徨の生活を繰り返し、時には愛欲や金銭欲にまみれ、やがて一人の川守のもとで輪廻を知り解脱に至る物語だ。
 ひとには様々な生き方があるが、一つの道を歩き続ける事はなかなか難しい。釈迦の様な天才でも迷いから解放されるのに苦労したのである。私はシンプルに、やりたくない事はやらないと決めた。自ずと貧乏神と共に歩く事になるが流されて生きるよりは潔いだろう。
 今年、娘は17歳になった。同じように進路に迷っている。しかし、人の体験や言葉の中に解答は無い。自分で考え感じるよりほかに進むべき道は見つからない。
山陽新聞夕刊「一日一題」9月1週