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2013.08.12
山陽新聞夕刊「一日一題」8月2週
8月2週 セイクレッドラン
 1990年の夏。私はネイティブアメリカンと共に英国ミルトンキーンズを出発。フランス、ドイツ、ポーランド、バルト三国、スカンディナヴィア半島を経由してモスクワまで走った。セイクレッドランという一万五百キロのランニング。一人で走った訳ではない。駅伝の様に同一コース上を何人かのランナーが同時に走るクロウホップという方法で1日200〜300キロを稼ぐ。私は1日最長55キロを走った。
 ベルリンの壁が壊れたばかりで、まだ東ドイツという国が存在していた。混迷と期待に揺れ動くヨーロッパはとても面白く、東側の人達の少しほっとした表情に時代の変わり目を感じた。テント生活が主であったが、フランスの古城や、ホームステイの宿泊もあった。野宿も度々。現地の人たち、特に少数民族との交流会やスエットロッジと呼ばれる米国先住民の祈りの儀式が新鮮で、毎日がわくわくだった。20カ国以上の人々が出入りしていると日本人としての役割を考えざるを得ない。様々な主張が交錯する中、数人参加していた日本人は泰然としていた。語学の壁もあったと思うが、白黒つける議論の前に行動で示す。日本人は曖昧だと言われながら、細やかな気遣いでやるべき事を見つけて淡々とこなす。なにより走りに走る!世界の中で日本人が担う役割が見えてくる気がした。モスクワに到着した後、私ともう一人の日本人が最優秀ランナーに選ばれて、スタッフという鷲の羽と獣の皮で出来たバトンを日本に運んだ。リーダーであったデニス・バンクスが別れ際にこう言った。「君たちの本当の仕事は、この経験を自分の地に持ち帰り如何に活かすかである。」本当の自由とは、責任の中にあると知る旅であった。
山陽新聞夕刊「一日一題」8月2週